ダチョウ倶楽部の魅力について

ダチョウ倶楽部は、関東のお笑い芸人の事務所で有名な太田プロダクションに所属する1985年から活動を開始した人気お笑いトリオです。
一時期は4人組のカルテットとして現在電撃ネットワークで活動中の南部寅太さんが初代リーダーでボケとして活動していた時期がありましたが、余りに過激すぎたため当時でもTV的にNGだった事もあり早い段階で止めました。
以後は2代目リーダーの肥後克広と寺門ジモンと上島竜兵の3人組のトリオとして活動していて、リアクション芸人としての地位や、様々なギャグをを作ってTVの全盛期を支えました。
南部さんがいた4人組の時代も好きだったので、どんな事をしていたのか面白エピソードを幾つか伝えます。
初代リーダーの南部さんのキャラが余りにも強く、その当時では余りに過激な芸をしてため、TVゴールデンタイムである午後7時~11時までの時間帯には特番ぐらいでした出演できませんでした。
その当時は身体をはる芸は全て南部さんが担当していて、記憶に残っている物では生きた毒のあるサソリを舌の口の中に入れて何分間耐えられるかや、睾丸で鉄アレーを持ち上げる下ネタ芸など2020年では考えられない事をやってました。
当然ですがリーダーの南部さんのキャラが濃すぎて過激だったため、残りの3人はそのノリについて行けずに、オマケ程度の扱いでした。
お笑いの方向性の違いとTVの地上波の日の当たる時間に出たかった3人と南部さんは協議して、お互いに納得して別れました。
その結果、たまに特番でしか出られなかった地上波の番組にトリオ芸人として出演できるようになりました。
トリオになった後も、特にトークが上手いわけでもないので漫才ブームでしたがそれに乗る事は出来ずに、あまり売れない時期が続きました。
芸の無い芸人が行きつくのは、身体を貼った笑いしかないと言うのが良くある流れだったので、当時方向性が違うと言って分裂した南部さんのボケを上島が担当して、寺門と肥後が左右からツッコムスタイルを作りました。
そしてダチョウ倶楽部を一躍有名にしてくれたのは、同じ太田プロダクションに所属するビートたけしでした。
日テレの日曜日の昼の時間帯でビートたけしがやっていて人気のあった番組にレギュラーとして出演出来るようになり、そこでのコーナーで定番芸をいくつも開発しました。
その番組の人気コーナーに、本当に60℃近い熱湯に入って入った時間に応じて宣伝や告知が出来る熱湯コマーシャルというコーナーがありました。
そのデモンストレーション担当で、熱湯が本当に熱いのかを確かめる担当として、ダチョウ倶楽部が抜擢されました。
それによってリアクション芸を確立した事で、今現在でも熱湯芸人としてTVCMやTV番組に良く出てます。
たけしの番組の凄いのは擦れだけでなく、もともとイジメ芸が好きなたけしは熱々のおでんを若手芸人の口に突っ込んだり、顔にはんぺんをのせてリアクションを楽しんでいました。
たけし軍団にやるように、事務所の後輩であるダチョウにも当然やって口の中や顔におでんを毎週のように突っ込まれてました。
そのおかげで、元々しゃべるなどの芸の無かったダチョウ倶楽部がリアクションで笑いを取れる事を嫌と言うほどたけしに教え込まれて、驚いた顔をする芸をみに付ました。
そのたけしの番組が終了した後もおでんと熱湯の芸を続けてましたが、当然ですが毎回火傷する事はないと築いて、おでんが泡立つのをドライアイスで再現して、今まで身に付けた驚きのリアクション芸をする安定したスタイルを確立しました。
ダチョウ倶楽部の魅力は、自分達がしゃべり芸がないのをリアクションを特化させて定番芸にしてきた事にあると思います。
今ではソロ活動でも、寺門が食通とか肥後がドラマや舞台などの俳優とかそれぞれ活躍していて注目してます。